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夏休み特別寄稿  海峡の修道院 【下】

この3年ほどあちこちでランドネ、ウォーキングをしてきた。それらは主に内陸部で、川に沿って歩くコースだった。「源流考」というポリシーにとらわれていたせいもあるのだが、地形図で地勢を読みながら川沿いを歩くそれは、それなりに面白かった。しかし海を見ながら歩く、という経験はなかった。それをはじめて企図したのが今回のランドネなのだった。実際に海岸を歩いてみると川や森の中を歩くコースでは味わえない爽快感があるものである。少しずつ岬の先端に近づく。空気が澄んでいれば海峡の向こう側には本州が望めるはずだったが今日は水蒸気が多く叶わない。しかし海は薄青色に凪ぎ、その上にひろがる空には光があふれている。素晴らしい日だ。

岬をかわすと前方に小さな入り江が望まれ、その前が集落になっている。一方右手の山側には線路が架線とともに現れて、海岸線、国道、鉄道が並行するようになる。弓型の入り江の真ん中あたりには小さな川の河口になっていた。入り江の西側終端部には小さな漁港があり、そこを過ぎるとふたつめの入り江となる。この入り江の陸側が渡島当別の中心集落となっていて、駅と郵便局がある。その手前には橋があって、その下の流れは大当別川の河口部である。ちなみに第一の入り江に注いでいたのは当別川という。どちらも橋から眺める上流部の景観はどこか懐かしい日本的な山村の風景だった。すなわちここ渡島当別には海と山、二つの田舎の景観が揃っているのだ。

自動販売機で二本目の水を買い、一気に三分の二ほど飲む。暑い。二つ目の入り江の西側の渚は小さな海水浴場となっているらしく、たぶん地元の住民と思える人々が水辺で遊んでいるのが見えた。穏やかな夏休みの光景だった。

やがてふたつめの岬、三ツ石崎をまわりこむといよいよ修道院へのファイナルアプローチである長い並木道に取りつく。ここ至って景観は一変する。すなわち典型的な日本の漁村風景が回り舞台のように転回してイタリアあたりのような田園風景が目の前に現れるのだ。

ここはトスカーナか!

私の口をついて出た言葉である。ポプラと糸杉による整然とした並木道は緩やかな傾斜で修道院まで一直線に上ってゆく。抜けるような青空に樹々の群青と牧草地の緑が生えて夢のように美しい。振り返るとはるか下方に津軽海峡が煌めいている。もう30年近く前に一度訪れているのだが、こんなに素晴らしい場所だとは気づかなかった。わたしは緩やかな坂道をしっかりとした足取りで、力強く登ってゆく。途中で同行者のクルマが近付いてきて、上の駐車場で待っている旨を伝えてゆく。並木が木陰を作ってくれるので吹き過ぎて行く風も涼やかだ。この並木道は延長1キロあり、その終端部からは石段が修道院の門まで続いていた。私は小走りになって石段をかけ登り、門前の鉄柵の前に跪いた。10キロの道のりを歩いてここに辿りついた。その事実が私を感激させていたのだ。

ただ祈った。

門前の異教徒である私は何を祈ったのか。

それは我が魂の平安である。ただそのことを私は跪き、両掌を組み合わせて祈った。

同行者はそれを見て失笑していたが、構いはしない。この感激はただ巡礼者だけが知る酬いなのだから。

そのあと二人で訪れた修道院裏手にある墓地と、その背後の牧草地、更に緑濃い山中に穿たれたルルドの聖跡とマリア像は深い印象を我々に与えた。