今や利用旅客数は年間2,000万人に達し日本国内でも4位の大空港に成長した
新千歳空港。しかしこの空港の誕生が地元住民による請願運動と作業供出によって
実現されたことはあまりよく知られていないようです。日本の空港のほとんどが
旧陸海軍の軍用飛行場から始まっていることを考えれば(千歳も途中からそうな
りますが)、この空港は実にユニークな誕生物語を持っていると言えるでしょう。

住民が自分たちの意志で、しかも自分たちの労働によって滑走路を整地したという
例が他にあるのかどうかは判然としませんが「飛行機をまじかに見てみたい」という
彼らの好奇心が現在の新千歳空港・航空自衛隊千歳基地を生む礎になったことは事実
のようです。しかもそのきっかけがツアー募集だったとは!
 
大正15年(1926年)小樽新聞社が新しく開通した北海道鉄道、現在の千歳線をめぐる
団体旅行を企画し、その昼食の手配と場所提供を旧千歳村に依頼しました。それに応じた
村に対して新聞社は謝礼として当時まだ非常に珍しかった飛行機での千歳飛来を約束しま
した。飛行機が飛んで来る、ということ自体がまだ珍しかった時代ですからそれだけでも
サービスだったのでしょう。ところがそれを聞きつけたつけた住民たちは、飛行機が上空を
飛ぶのを見るのではなく、着陸した機体を間近かに見てみたい、という欲求から整地の作業
団を結成して村民総出で鋤や鍬をふるったのです。ちょっと想像するだけでも楽しいエピソード
だと思いませんか?その結果7千坪の土地を飛行場用地として開削し、めでたく同年10月
に小樽新聞社の三菱製「北海1号機」が飛来、無事着陸しました。この時が千歳空港誕生の
瞬間だったのです。

その後王子製紙や伊藤組(札幌市)などからの寄付もあり、昭和9年(1934年)には千歳飛行場
として正式に開港となります。1936年には東京羽田とを結ぶ旅客輸送が始まりますが、第2次
世界大戦前に海軍航空基地となり、戦後のアメリカ軍接収時代を経て、1951年の民間航空再開を
迎えました。

以降は全国的な航空需要の増大にあわせて施設の拡張が行われ、1963年に旧ターミナルビル完成、
1974年にはジャンボ機(ボーイング747)の就航があり、80年には旧国鉄が千歳空港駅を設置
してターミナルビルと連絡橋で結びました。1988年には新A滑走路の運用開始を以って新千歳空港
開港となりますが、新ターミナルビルの完成は92年を待つことになります。96年にはB滑走路の
供用が開始され現在の離着陸分離方式が始まりました。これはターミナルから見て手前のA滑走路を離陸専用、遠いB滑走路を着陸専用とするものです。98年にエア・ドゥが運航を開始し、2010年には国際線ターミナルが新規開業して今日を迎えています。