白いクマさんベアドゥのキャラクターと、空色黄色のツートンカラー機体で
エアドゥのイメージは定着しているようです。そんなエアドゥも間もなく
運行開始から18年になります。スカイマークとともに航空規制緩和の申し子
として生まれたこの航空会社をいまあらためて眺めてみましょう。
エアドゥの生みの親は元々タマゴをつくる人でした。札幌市で養鶏業を営んで
いた浜田輝雄氏は常々航空運賃の高さに疑問を抱いていました。札幌という
都市は今でもそうですが、東京をはじめとした国内大都市との交通を航空に
頼らざるを得ない事情があります。そう、他の交通機関を利用するという
選択肢がないのです。今春北海道新幹線が新函館北斗まで開通しましたが、
札幌延伸は2030年、なんとあとまだ14年も待たねばなりません。要するに
飛行機に乗るしかないのです。当時国内航空は日本航空、全日空、日本エア
システムの三社体制で早期購入割引系の運賃などは導入されていましたが、
変更可能など使い勝手の良い普通運賃は高止まり状態になっていました。
浜田氏は異業種交流会などに参加して自分の思いを表明しましたが、同じような
疑問をもつ人が多くいることに勇気づけられました。そこでそのような個人や
法人に糾合を呼び掛け1996年に調査会社を設立したのです。その名も「北海道
国際航空」。この社名は2012年にエアドゥが正式社名となるまで使用されました。
資本金は1,430万円、同時期にやはり新規航空会社を立ち上げようとしていた
旅行会社エイチアイエスから合流の提案もあったようですが、あくまでも北海道の
会社としてのアイデンティティを重視して単独で歩むことにしました。ご存知の
とおりその後エイチアイエスはスカイマークを立ち上げたのです。北海道国際
航空では北海道内の自治体や北海道議会からの支援を取り付け、1998年6月に
定期航空運送事業の路線免許を運輸省(当時)に申請、11月には交付を受けました。
その間7月には愛称をエアドゥとしたのです。そして同年12月20日第一便が
新千歳-羽田間に就航しました。それはいわばタマゴから生まれた航空会社エアドゥが
鳥としてやっと羽ばたいた日でした。しかしこの鳥が飛ぶ空の前途は決して
平穏なものではありませんでした【つづく】